久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡NA172 |
くさかげんずい よしだとしまろらぐうきょあと |
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久坂玄瑞(1840~64)と吉田稔麿(1841~64)は,ともに長州藩士。この地は,長州藩邸の北側にあたり,付近には多くの藩士が居住していた。吉田は文久2年(1862)7月から閏8月まで,久坂は同年8月から9月にかけて,この法雲寺で謹慎生活を送った。その後,吉田は池田屋事件で討死し,久坂は禁門の変(蛤御門の変)で自刃した。 望月亀弥太(1838~64)は土佐藩士。池田屋事件の際,河原町二条下るの角倉屋敷近くで割腹自害した。角倉屋敷は,現在の日本銀行京都支店の場所である。また塩屋兵助は,吉田稔麿が親しくしていた人物で,二条寺町東入に住んでいた。 この石碑は,この地が久坂玄瑞・吉田稔麿等が謹慎していた際の寓居であったことを示している。 |
所在地 | 中京区河原町通二条上る東側(法雲寺前) |
位置座標 | 東経135度46分9秒/北緯35度0分49秒(世界測地系) |
建立年 | 2015年 |
建立者 | 京都歴史地理同考会 |
寸 法 | 高103.0×幅18.0×奥行18.0cm |
碑 文 | |
[西] | |
久坂玄瑞 | |
等寓居跡 | |
吉田稔麿 | |
[北] | |
此南西吉田稔麿所縁塩屋兵助宅跡伝承地 | |
[東] | |
此南池田屋事件望月亀弥太終焉伝承地 | |
[南] | |
二〇一五年七月 | |
特定非営利活動法人 京都歴史地理同考会建之 | |
滋賀県草津市 徳田智史寄贈 | |
調 査 | 2020年12月15日 |
備 考 | 石碑の背後には,詳細な解説板がある。 |