岩瀬忠震宿所跡NA172 |
いわせただなりしゅくしょあと |
岩瀬忠震(1818〜61)は,「幕末三俊」の一人に数えられる幕府旗本で,安政5年(1858)の5か国修好通商条約締結に携わった。安政元年(1854)正月に目付・海防掛とされ,安政5年2月に堀田正睦とともに上洛し,瑞泉寺を宿所とした。堀田らは条約勅許を願ったが,勅許は下りず,4月に帰東する。 橋本左内(1834〜59)は,越前福井藩士。3月24日,瑞泉寺に滞在する岩瀬を訪ねて意見を交わし,一橋徳川慶喜の擁立で見解が一致。この後,二人はともに一橋派として行動し,そのため岩瀬は左遷され,橋本は刑死する。 この標石は,岩瀬忠震の宿所跡を示すものであり,そこを橋本左内が訪れたことも示している。 |
所在地 | 中京区木屋町通三条下る西側(瑞泉寺前) |
位置座標 | 北緯35度0分31秒/東経135度46分14秒(世界測地系) |
建立年 | 2019年 |
建立者 | 瑞泉寺 |
寸 法 | 高121.0×幅17.0×奥行17.0cm |
碑 文 | |
[北] | |
目付 海防掛 | |
岩瀬忠震宿所跡 | |
[東] | |
令和元年五月一日 | |
慈弁山瑞泉寺建之 | |
[南] | |
有志一同 | |
奥野聡子寄進 | |
[西] | |
福井藩士 | |
橋本左内訪問之地 | |
調 査 | 2020年12月9日 |
備 考 | 石碑の背後には,詳細な解説板がある。 |