京都種痘術創始五十年紀念碑NA165 |
きょうとしゅとうじゅつそうしごじゅうねんきねんひ |
日野鼎哉(1797〜1850)は京都で開業した蘭法医。弘化年間(1844〜48)に京都で痘瘡が流行した時,鼎哉は牛痘法の早期導入を進め,長崎から痘苗を取り寄せた。嘉永2年(1849)に鼎哉は孫に接種し効力を確認した。これが京都で牛痘法による種痘が試みられた最初である。 この碑は最初の種痘から50年を記念し,西大谷墓地にあった鼎哉の墓前で法要がおこなわれた時に,無縁墓となっていた台石上に建立されたものである。1950年に種痘伝来百年記念事業として京都府医師会が鼎哉の墓石を再建,碑は京都府医師会館(上京区丸太町通智恵光院東入)に移設された。のち医師会館が1966年に中京区壬生高田町に移転するとともに碑も新会館内に移設され,2010年10月,医師会館の二条駅東移転にともない,さらに新会館内に移設された。 |
所在地 | 中京区西ノ京栂尾町(京都府医師会館内) |
位置座標 | |
建立年 | 1898年 |
建立者 | (有志) |
寸 法 | 高69×幅28×奥行28cm |
碑 文 | |
[東] | |
京都種痘術 | |
紀念 | |
創始五十年 | |
[西] | |
明治三十一年十一月十一日 | |
祭典執行 発起人 二十九名 | |
[北] | |
猪子止戈助 石田嘉三郎 服部忠直 | |
馬杉則知 大村達斎 太田岩太郎 | |
大崎淳吉 笠原光興 横川忠彦 | |
竹岡友仙 田中秀三 半井 撲 | |
中村正勁 上羽新七 山田文友 | |
[南] | |
前田松閣 武藤勇軒 郷 健十郎 | |
小森隆吉 小石第二郎 江馬章太郎 | |
安藤精軒 斎藤仙也 佐々木治兵衛 | |
木下 熈 三宅宗淳 平井毓太郎 | |
廣瀬 胖 宮野弘一 平朝臣俊介書 | |
調 査 | 2011年1月13日 |
備 考 | 京都府医師会館旧地(中京区壬生高田町)の碑の写真(1999年撮影)はここ |
位置図 | |