八之舟入址NA163 |
はちのふないりあと |
高瀬川は,江戸初期の豪商角倉了以(1554〜1614)素庵(1571〜1632)父子によって開鑿され,京都の経済に重要な役割を果たした。高瀬川の舟入(船入)は荷物の積み下ろしと船の方向転換の場所で,古地図などによれば開鑿当初は二条〜四条間に7か所作られ,17世紀末には9か所に増え,江戸時代中期には再度7か所に減少した。現在は一之船入だけが残る。この碑は9か所時代の八番目の舟入跡を表示するものである。 |
所在地 | 中京区木屋町通紙屋橋上る西側 |
位置座標 | 北緯35度00分19.6秒/東経135度46分13.1秒(世界測地系) |
建立年 | 2009年 |
建立者 | 木屋町共栄会・立誠高瀬川保勝会 |
寸 法 | 高81×幅15×奥行15cm |
碑 文 | |
[東] | |
八之舟入址 | |
[北] | |
木屋町共栄会 | |
立誠高瀬川保勝会 | |
[南] | |
平成二十一年十一月 | |
[上面] | |
→【尖端西向】 | |
調 査 | 2009年11月26日 |
備 考 |