坂本龍馬妻お龍実家楢崎家跡

NA156

さかもとりょうまつまおりょうじっかならざきけあと
石碑(0027968)石碑周辺(0027969)

 (解説は本碑背後の壁面パネルにゆずる)

所在地中京区柳馬場通三条下る東側
位置座標北緯35度00分29.4秒/東経135度45分50.4秒(世界測地系)
建立年2008年
建立者NPO法人京都龍馬会
寸 法高112×幅18×奥行18cm
碑   文
[西]
               坂本龍馬妻
この付近                     楢崎家跡
               お龍の実家
[南]
二〇〇八年十月建之
   特定非営利活動法人 京都龍馬会
[壁面パネル]
   柳馬場三条下ルのこの付は,のちの坂本龍馬の妻お龍(鞆)の実家跡です。」
   お龍は,青蓮院宮に仕える内・外科医,楢崎将作の長女です。天保12年」
(1841)に富小路六角付近で誕生し,しばらくしてこの地に移り住んだと思われます。」
   お龍には,父母のほか,弟妹が4人もおりましたが,家事を任されることもなく,」
華道,香道,茶道などのおけいこごとに専念できたようです。父在世中は,いわ」
ば良家のお嬢様として,裕福に暮らしていたといえます。」
   文久2年(1862)6月20日,父楢崎将作がなくなると,一家の生活は一変します。」
長男太一郎はまだ幼少で,亡父に代わって家族をやしなうことがきでず,とうと」
う一家はばらばらになります。」
   お龍とは別行動をとった母貞と末妹の君江は,洛東大仏方広寺南門(現」
三十三間堂南大門)前の河原屋五兵衛(もしくは五郎兵衛)の隠居所に居住する」
土佐亡命志士の賄いのため,住み込みで働きます。ここに龍馬が住んでいたので」
す。これが龍馬とお龍の出会うきっかけとなります。」
   龍馬はお龍を紹介した姉乙女宛ての手紙に,さまざまな彼女の個性を記し,」
「まっことにおもしろき女」と評価しました。」
   龍馬が愛したお龍の人格が形成された場所,それは父の死まで一家団欒をすご」
したこの地であったにちがいありません。」
   以上の理由から,当地を龍馬に関する重要史跡とし石碑を建立するものです。」
                                                            歴史地理研究者   中村武生
調 査2008年10月11日
備 考碑の向って左の壁面に金属製解説パネルが設置されている/パネルの文章は横書き・総ふりかな/ふりかなで注意を要するものはこのリスト

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