所在地 | 中京区柳馬場通三条下る東側 |
位置座標 | 北緯35度00分29.4秒/東経135度45分50.4秒(世界測地系) |
建立年 | 2008年 |
建立者 | NPO法人京都龍馬会 |
寸 法 | 高112×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
| [西] |
| 坂本龍馬妻 |
| この付近 楢崎家跡 |
| お龍の実家 |
| [南] |
| 二〇〇八年十月建之 |
| 特定非営利活動法人 京都龍馬会 |
| [壁面パネル] |
| 柳馬場三条下ルのこの付は,のちの坂本龍馬の妻お龍(鞆)の実家跡です。」 |
| お龍は,青蓮院宮に仕える内・外科医,楢崎将作の長女です。天保12年」 |
| (1841)に富小路六角付近で誕生し,しばらくしてこの地に移り住んだと思われます。」 |
| お龍には,父母のほか,弟妹が4人もおりましたが,家事を任されることもなく,」 |
| 華道,香道,茶道などのおけいこごとに専念できたようです。父在世中は,いわ」 |
| ば良家のお嬢様として,裕福に暮らしていたといえます。」 |
| 文久2年(1862)6月20日,父楢崎将作がなくなると,一家の生活は一変します。」 |
| 長男太一郎はまだ幼少で,亡父に代わって家族をやしなうことがきでず,とうと」 |
| う一家はばらばらになります。」 |
| お龍とは別行動をとった母貞と末妹の君江は,洛東大仏方広寺南門(現」 |
| 三十三間堂南大門)前の河原屋五兵衛(もしくは五郎兵衛)の隠居所に居住する」 |
| 土佐亡命志士の賄いのため,住み込みで働きます。ここに龍馬が住んでいたので」 |
| す。これが龍馬とお龍の出会うきっかけとなります。」 |
| 龍馬はお龍を紹介した姉乙女宛ての手紙に,さまざまな彼女の個性を記し,」 |
| 「まっことにおもしろき女」と評価しました。」 |
| 龍馬が愛したお龍の人格が形成された場所,それは父の死まで一家団欒をすご」 |
| したこの地であったにちがいありません。」 |
| 以上の理由から,当地を龍馬に関する重要史跡とし石碑を建立するものです。」 |
| 歴史地理研究者 中村武生 |
調 査 | 2008年10月11日 |
備 考 | 碑の向って左の壁面に金属製解説パネルが設置されている/パネルの文章は横書き・総ふりかな/ふりかなで注意を要するものはこのリスト |