角倉了以別邸跡

NA123

すみのくらりょういべっていあと
石碑(0010171)石碑周辺(0010167)

 角倉了以(1554〜1614)は,国内諸河川の開発整備に従事し,慶長11(1606)年に大堰川・淀川・富士川を疎通させた。慶長16(1611)年この地二条より鴨川の水を引き伏見に達する高瀬川を開削し,京都伏見間の水運を開通させた。明治維新後,角倉家は高瀬川支配を罷免され,府に移管された。この辺り一帯は角倉家の邸地であった。この石標はその跡を示すものである。

所在地中京区木屋町通二条下る東側
位置座標北緯35度00分45.2秒/東経135度46分13.8秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高134×幅23×奥行23cm
碑 文
[西]
角倉了以別邸跡
[北]
高瀬川源流庭苑
調 査2002年8月22日
備 考

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