若狭小浜藩邸跡NA122 |
わかさおばまはんていあと |
若狭小浜藩主は譜代大名の酒井家であった。その京都藩邸は,江戸時代を通じて二条城南西のこの地にあった。幕末の小浜藩邸は京都所司代酒井忠義(12代,1813〜73)の本拠で,将軍後見職一橋慶喜が最後の将軍として二条城に入るまでの3年10ヶ月を過ごし,大政奉還への道筋を構想した場所とされる。安政5(1858)年京都所司代に再任された酒井忠義は,井伊直弼の命で勤王の志士を一網打尽にした。13代忠氏(1835〜76)は水戸天狗党を追討した。鳥羽伏見戦では,東軍(幕府軍)に従い橋本で敗れ,敗走途中に山陰鎮撫総督に降伏し,以後官軍に協力した。この石標は若狭小浜藩邸の跡を示すものである。なお,石標の文字は酒井家の現当主が揮毫し,近くの住家庭園に残っていた藩邸の燈籠も移された。 |
所在地 | 中京区西ノ京池ノ内町 |
位置座標 | 北緯35度00分39.5秒/東経135度44分46.3秒(世界測地系) |
建立年 | 2002年 |
建立者 | (小浜市) |
寸 法 | 高30×幅45×奥行17cm |
碑 文 | |
[北] | |
若州 | |
小浜藩邸跡 | |
酒井忠和書 | |
[南] | |
贈 | |
2002年 | |
中島辰男 | |
福井県立若狭歴史民俗資料館長 | |
調 査 | 2002年8月13日 |
備 考 | 建立者は現地での聞き取りによる |
位置図 | |