一遍上人念仏賦算遺跡NA120 |
いっぺんしょうにんねんぶつふさんいせき |
時宗の開祖一遍(1239〜89)は,弘安7(1284)年閏4月16日,近江国関寺からこの地にあった釈迦堂に入り,7日間滞在して賦算や踊り念仏を行った。賦算とは南無阿弥陀仏の名号を書いた算(ふだ)を賦ることで,この算をもらおうと貴賤上下が群をなしたと伝えられる。その後,応長元(1311)年,この地に金蓮寺が創建され,時宗四条派の本山となり四条道場と称された。江戸時代には衰退し,天明8(1788)年の大火で焼失。のち再興されたが,大正15(1926)年現在地(北区鷹峯藤林町)に移転した。この石標は一遍ゆかりの四条道場跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区新京極通四条上る西側 |
位置座標 | 北緯35度00分13.1秒/東経135度46分03.0秒(世界測地系) |
建立年 | 1983年 |
建立者 | 山羽ヒサ |
寸 法 | 高186×幅30×奥行23cm |
碑 文 | |
[東] | |
時宗開祖 | |
念仏賦算遺跡 | |
一遍上人 | |
[南] | |
昭和五十八年十一月 | |
染殿院 山羽ヒサ 時年八十四 | |
建之 | |
調 査 | 2002年8月13日 |
備 考 |