平野国臣外数十名終焉趾

NA097

ひらのくにおみほかすうじゅうめいしゅうえんのあと
石碑(0005322)石碑周辺(0005334)

 平野国臣(1828〜64)は,福岡藩出身の尊王攘夷派の志士で脱藩して京都で活躍。新選組に追われながら生野の変を起こすが失敗,捕えられこの地にあった六角牢獄に入れられた。元治元(1864)年7月20日,前日の禁門の変で起きた火災が六角牢獄に迫り,入牢者の破獄を恐れた幕府役人により平野国臣はじめ古高俊太郎・長尾郁三郎等三十数名の志士が斬首された。この石標は平野国臣等が処刑された六角牢獄の跡を示すものである。

所在地中京区六角通神泉苑西入南側
位置座標北緯35度00分26.6秒/東経135度44分47.9秒(世界測地系)
建立年1928年
建立者京都市教育会
寸 法高118×幅19×奥行18cm
碑 文
[北]
勤王
      平野国臣外数十名終焉之趾
志士
[東]
京都市教育会
[西]
昭和三年九月
調 査2002年2月5日
備 考日本近代医学発祥地(NA096)山脇東洋観臓地(NA098)と並び立つ

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