見真大師遷化旧跡

NA089

けんしんだいしせんげのきゅうせき
石碑(0029467)石碑周辺(0029468)

 見真大師は浄土真宗開祖親鸞(1173〜1262)の諡号。親鸞は藤原有範の子。延暦寺で修行したが,建仁元(1201)年法然(1133〜1212)の門に入って専修念仏の信仰に帰依。承元元(1207)年念仏教団弾圧で法然に連坐し越後に配流。赦免後関東で布教し,寛喜3(1231)年以後京都に戻り,独自の信仰境地に至り,絶対他力や悪人正機など説を唱えた。京都では一定の地に居住しなかったが,舎弟尋有の善法房と推定されるこの地で弘長2(1262)年に没した。
 善法房のあとには江戸時代に法泉寺が建立された。法泉寺は大正14(1925)年に隣接する柳池小学校の校地拡張により上京区下総町(現北区小山下総町)に移転,昭和32年に現在地である左京区下鴨松ノ木町に移転した。この石標は親鸞終焉の地を示すものであり,下鴨の法泉寺にも見真大師聖蹟法泉寺(SA180)が立つ。

所在地中京区柳馬場通御池上る東側(京都御池創生館前)
位置座標北緯35度00分42.0秒/東経135度45分50.4秒(世界測地系)
建立年1888年
建立者虎石町・法泉寺
寸 法高191×幅32×奥行28cm
碑 文
[西]
見真大師遷化之旧跡
[東]
                                    虎石町
明治二十一年三月再建之
                                    法泉寺
[副碑西]
      見真大師遷化之旧跡
   浄土真宗の開祖親鸞聖人(見真大師)は
弘長二年(一二六二)この地にあった善法院にて
九十歳でご入滅されました
   いつしか親鸞ヶ原と呼ばれるようになった
当地に聖人を偲び門徒が法泉寺を建立し
その後柳池小学校拡張に伴い法泉寺は移転
しました   そのおり門前にあったこの石碑を
残し聖人の御旧跡を今に伝えています
   当地が虎石町と名づけられたのは   伏せた
虎のような姿の庭石を聖人が虎石と呼び親し
まれていたことに由来します   聖人ご入滅の
おり虎石は涙を流したと伝えられています
   虎石は現在東大谷に安置されています
                        親鸞聖人遷化の旧跡保存会
[副碑東]
二〇〇六年三月
調 査2014年8月29日
備 考2006年京都御池創生館竣工にともない現在地に移設され副碑が建立された/移設前の旧データはここ

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