兵部大輔大村益次郎公遺址

NA087

ひょうぶだゆうおおむらますじろうこういし
石碑(0005651)石碑周辺(0005655)

 周防国出身の大村益次郎(村田蔵六,1825〜69)は,緒方洪庵等に医・蘭学を学んだ後,江戸に出て幕府の講武所教授等を歴任した。のち長州藩に仕え軍制改革を指導した。農民や町人の兵式訓練の必要を説き,第2次長州征伐・戊辰戦争において卓越した指揮を行った。新政府では兵部大輔として近代兵制の樹立に尽力したが,明治2(1869)年9月4日関西の軍事施設視察時に反対派浪士に襲われ,11月5日大阪で没した。この石標は,大村が襲撃された宿所の跡を示すものである。なお碑文には「十番路次」と記すが,当時の史料や大村の伝記には「二番路次」と記している。

所在地中京区木屋町通御池上る東側
位置座標北緯35度00分42.7秒/東経135度46分13.4秒(世界測地系)
建立年1926年
建立者山口鹿太郎
寸 法高93×幅19×奥行18cm
碑 文
[西]
兵部大輔従三位大村益次郎公遺址
[東]
大正拾五年四月
                     陸軍少将山口鹿太郎建之
[南]
維新征東ノ殊勲国民皆兵ノ提唱京阪地方兵備ノ
創建者タル公ハ明治二年九月四日当十番路次内
ニテ反賊ニ襲ハレ重傷遂に薨去セラル
調 査2002年2月5日
備 考

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