象山先生遭難碑

NA086

しょうざんせんせいそうなんひ
石碑(0005662)石碑周辺(0005665)

 佐久間象山(1811〜64)は,信濃国松代藩出身で兵学蘭学を学び,江戸で勝海舟・吉田松陰等に砲学を教えた。開国論を唱え,嘉永7(1854)年吉田松陰の米艦乗込事件に連座し,その後8年間松代で蟄居した。元治元(1864)年3月幕命で上京し,開国論を披瀝した。同年7月11日騎馬で山階宮家よりの帰途,この地で暗殺された。この石標は佐久間象山が襲撃された地を示すものである。

所在地中京区木屋町通御池上る西側
位置座標北緯35度00分42.2秒/東経135度46分13.4秒(世界測地系)
建立年(1915年)
建立者(象山先生遺跡表彰会)
寸 法高200×幅70×奥行?cm
碑 文
[東]
象山先生遭難之碑
[東下段]
嘉永以後外舶叩關
国論沸騰挙主鎖攘
当是時佐久間象山
先生以絶特之識独
排群議而唱開国竟
以此取■実元治元
年七月十一日也後
五十餘年有志胥謀
立石以表其終焉之
地距此正東五十二
尺乃先生遭難処
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調 査2002年2月5日
備 考建立年・建立者は1915年11月1日付『京都日出新聞』による/裏面および側面未調査/碑文中■で示した文字は示+固のように見え禍の異体と解釈した

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