角倉氏邸址

NA085

すみのくらしていあと
石碑(0005647)石碑周辺(0005650)

 角倉了以(1554〜1614)は,国内諸河川の開発整備に従事し,慶長11(1606)年に大堰川・淀川・富士川を疎通させた。慶長16(1611)年この地二条より鴨川の水を引き伏見に達する高瀬川を開削し,京都伏見間の水運を開通させた。明治維新後,角倉家は高瀬川支配を罷免され,府に移管された。この辺り一帯は角倉家の邸地であった。この石標はその跡を示すものである。

所在地中京区木屋町通二条下る西側
位置座標北緯35度00分45.2秒/東経135度46分13.2秒(世界測地系)
建立年1916年
建立者京都市教育会
寸 法高121×幅18×奥行16cm
碑 文
[北]
高瀬川
         角倉氏邸址
開鑿者
[東]
大正五年五月建之   京都市教育会
[南]
寄附者   田中市蔵
調 査2002年2月5日
備 考

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