武市瑞山先生寓居跡NA081 |
たけちずいざんせんせいぐうきょのあと |
武市瑞山(1829〜65)は,土佐藩郷士で江戸に学び尊王攘夷を志し,土佐勤王党を結成した。藩内の主流であった公武合体派を退け藩論を尊王攘夷に導いた。文久2(1862)年山内容堂(1827〜72)に従って上洛し,この地に住んで応接役として各藩士と交わった。翌年京都留守居役となるが,8月18日の政変以後,尊王攘夷派は弾圧され,9月に土佐で投獄され,慶応元(1865)年切腹を命じられた。この石標は武市瑞山京都滞在時の宅跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区木屋町通三条上る東側 |
位置座標 | 北緯35度00分56.6秒/東経135度45分29.3秒(世界測地系) |
建立年 | |
建立者 | |
寸 法 | 高135×幅19×奥行18cm |
碑 文 | |
[西] | |
武市瑞山先生寓居之跡 | |
[北] | |
武市半平太(月形半平太) | |
調 査 | 2002年2月7日 |
備 考 |