吉村寅太郎寓居址NA078 |
よしむらとらたろうぐうきょのあと |
吉村寅太郎(1837〜63)は,土佐藩出身の尊王攘夷派の志士。武市瑞山の勤王党に加盟し,脱藩して国事に奔走するが捕えられて送還される。再度上洛して,藤本鉄石等と天誅組を組織し倒幕の兵をあげるが,蜂起後40日余りで大和国吉野で敗死した。この石標は吉村寅太郎寓居の跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区木屋町通三条上る東側 |
位置座標 | 北緯35度00分34.8秒/東経135度46分13.4秒(世界測地系) |
建立年 | 1928年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高116×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[西] | |
吉村寅太郎寓居之址 | |
[東] | |
円子延太郎 | |
[南] | |
昭和三年五月 | |
[北] | |
京都市教育会 | |
調 査 | 2002年2月7日 |
備 考 |