手島堵庵五楽舎址NA069 |
てじまとあんごらくしゃあと |
手島堵庵(1718〜86)は,石田梅岩直門の最年少だったが,師や兄弟子の没後,門下の組織的改革や教化法の改善を進め,講舎五楽舎を開設して石門心学の普及に努めた。長男手島和庵(1747〜91)が五楽舎を受け継いた。この石標は手島堵庵の五楽舎の跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区富小路通六角上る西側 |
位置座標 | 北緯35度00分28.0秒/東経135度45分53.2秒(世界測地系) |
建立年 | 1917年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高110×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[東] | |
手島堵庵五楽舎址 | |
[南] | |
大正六年三月建之 京都市教育会 | |
調 査 | 2002年2月7日 |
備 考 |