大炊御門万里小路殿址NA068 |
おおいのみかどまでのこうじどのあと |
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| 大炊御門万里小路殿は,平安京左京二条四坊十一町にあった但馬守源高房(?〜1077)の邸宅。後三条天皇(1034〜73)は,延久5(1073)年病を得てこの邸に行幸,この地で崩御した。のちに中納言源能俊(1071〜1137)の領となり,白河法皇(1053〜1129)は仮の御所とした。鎌倉末期には里内裏として度々利用された。この石標はその跡を示すものである。 |
| 所在地 | 中京区富小路通夷川上る西側 |
| 位置座標 | 北緯35度00分54.7秒/東経135度45分54.2秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1940年 |
| 建立者 | 富有同窓会 |
| 寸 法 | 高90×幅18×奥行18cm |
| 碑 文 | |
| [東] | |
| 大炊御門万里小路殿【以下埋没「址」カ】 | |
| [南] | |
| 富有同窓会 | |
| [西] | |
| 紀元二千六百年 | |
| [北] | |
| 白河天皇ノ内裏 | |
| 調 査 | 2002年2月4日 |
| 備 考 |