南蛮寺跡NA053 |
なんばんじあと |
南蛮寺は,切利支丹寺・伴天連寺等ともいう16世紀後半のキリスト教布教所の俗称。京都における最初の南蛮寺は,永禄12(1543)年この地に建立され,年号を寺号とし永禄寺と称したが,南蛮寺と固有名詞のように称されるようになった。方四町,和風三階建てで『洛中洛外名所扇面図』に描かれている。天正16(1588)年豊臣秀吉(1536〜98)の伴天連追放令に伴い破却された。この石標はその跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区蛸薬師通室町西入北側 |
位置座標 | 北緯35度00分21.8秒/東経135度45分26.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1970年 |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高98×幅16×奥行19cm |
碑 文 | |
[南] | |
此付近南蛮寺跡 | |
[西] | |
昭和四十五年三月 京都市 | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |