望月玉泉居住地NA042 |
もちづきぎょくせんきょじゅうち |
望月玉泉(1834〜1913)は,幕末から明治期の画家である。望月玉蟾(1692〜1755)を祖とする望月派の四代目。幸野楳嶺(1844〜95)と共に京都府画学校の創設に参加し,京都画壇の復興に努めた。父・玉川に画を学び,四条派と岸駒(1749〜1838)に始まる岸派の画法を折衷し,写生を基調とする温和な画風を形成した。この石標はその邸宅跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区室町通丸太町下る西側 |
位置座標 | 北緯35度01分01.8秒/東経135度45分28.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1930年 |
建立者 | 竹間教育会 |
寸 法 | 高104×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[東] | |
此辺画家望月玉泉居住地 | |
[西] | |
昭和五年三月 竹間教育会 | |
調 査 | 2003年5月23日 |
備 考 | 碑文東面の「泉」はもと「蝉」と記したのを彫り直している |