橘逸勢邸址

NA037

たちばなのはやなりていあと
石碑(0005228)石碑周辺(0005230)

 平安京左京三条二坊十一町にあった*松殿(はいまつどの)と呼ばれた橘逸勢(?〜842)の邸宅。逸勢は延暦23(804)年留学生として入唐,大同元(806)年帰国。「橘秀才」といわれ,三筆の一人に数えられる。承和の変(842)で罪なくして遠流に処せられ,伊豆下向途中の遠江で病により没した。そのため御霊として祀られ,邸宅跡に橘逸勢社が建てられたが焼失した。この石標はその邸宅の跡を示すものである。

所在地中京区姉小路通東堀川東入上る東側
位置座標北緯35度00分35.0秒/東経135度45分09.4秒(世界測地系)
建立年1916年
建立者京都市教育会
寸 法高116×幅18×奥行18cm
碑 文
[西]
橘   逸勢邸址
[東]
大正五年五月建之   京都市教育会
[南]
昭和三年六月   京都史蹟会引継
調 査2002年2月6日
備 考


解説中「*」字

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