橘逸勢邸址NA037 |
たちばなのはやなりていあと |
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| 平安京左京三条二坊十一町にあった*松殿(はいまつどの)と呼ばれた橘逸勢(?〜842)の邸宅。逸勢は延暦23(804)年留学生として入唐,大同元(806)年帰国。「橘秀才」といわれ,三筆の一人に数えられる。承和の変(842)で罪なくして遠流に処せられ,伊豆下向途中の遠江で病により没した。そのため御霊として祀られ,邸宅跡に橘逸勢社が建てられたが焼失した。この石標はその邸宅の跡を示すものである。 |
| 所在地 | 中京区姉小路通東堀川東入上る東側 |
| 位置座標 | 北緯35度00分35.0秒/東経135度45分09.4秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1916年 |
| 建立者 | 京都市教育会 |
| 寸 法 | 高116×幅18×奥行18cm |
| 碑 文 | |
| [西] | |
| 橘 逸勢邸址 | |
| [東] | |
| 大正五年五月建之 京都市教育会 | |
| [南] | |
| 昭和三年六月 京都史蹟会引継 | |
| 調 査 | 2002年2月6日 |
| 備 考 |
| 解説中「*」字 |