高松殿址NA036 |
たかまつどのあと |
高松殿は,平安京左京三条三坊三町にあった邸宅。源高明(914〜82)に始まり,高明の娘で道長妻となった明子が伝領し高松殿と称された。その後嘉保2(1095)年白河上皇(1053〜1129)の院御所としたが,その所有者は院近臣の藤原顕季であった。康和5(1103)年宗仁親王(鳥羽天皇)の誕生に際し,一連の祝儀が当殿で挙行され,長じて鳥羽上皇(1103〜56)の院御所となった。久寿2(1155)年後白河法皇(1127〜92)はこの地で位につき,以降里内裏となった。保元の乱(1156)では,天皇方の拠点となり源義朝(1123〜60)や平清盛(1118〜81)が参集した。平治元(1159)年に焼失した。この石標は高松殿の跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区姉小路通釜座東入北側(高松神明社前) |
位置座標 | 北緯35度00分35.4秒/東経135度45分21.7秒(世界測地系) |
建立年 | 1915年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高121×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南] | |
此附近 高松殿址 | |
[西] | |
寄付者 柏光定 | |
[北] | |
大正四年十一月建之 京都市教育会 | |
調 査 | 2002年2月6日 |
備 考 |