池田屋騒動址NA033 |
いけだやそうどうのあと |
文久3(1863)年8月18日の政変後,京都では公武合体派が勢力を伸ばし尊王攘夷派が圧迫されたため,長州・土佐・肥後などの志士が勢力回復をめざし,中川宮や京都守護職松平容保の暗殺計画を企てた。元治元(1864)年6月5日,三条池田屋において会合中の志士30余名が新選組に襲撃され多数の死傷者をだした。この石標は池田屋の跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区三条通木屋町西入北側 |
位置座標 | 北緯35度00分32.8秒/東経135度46分11.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1927年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高120×幅18×奥行16cm |
碑 文 | |
[南] | |
維新 | |
池田屋騒動之址 | |
史蹟 | |
[東] | |
京都市教育会 | |
[西] | |
京都市教育会 | |
[北] | |
寄附者 | |
昭和二年十一月 佐々木フサ | |
調 査 | 2002年2月7日 |
備 考 |