菁々塾跡

NA025

せいせいじゅくあと
石碑(0005080)石碑周辺(0005085)

 菁々塾は,西谷淇水(1824〜91)が開設した私塾。淇水は,江戸中期より手跡指南所篤志軒を営む西谷家の8代目であった。慶応3(1867)年・翌明治元年に小学校設立を建言。明治2(1869)年京都市中に64の小学校が開設されたが,それは寺子屋などの私塾を基礎としたものであり,菁々塾もその一つで下京第四番組小学校(日彰小学校)に発展した。この石標は菁々塾の跡を示すものである。

所在地中京区高倉通錦小路上る東側
位置座標北緯35度00分20.8秒/東経135度45分45.2秒(世界測地系)
建立年1972年
建立者
寸 法高119×幅18×奥行15cm
碑 文
[西]
菁々塾跡
[東]
【未確認】
調 査2002年2月7日
備 考建立年は京都新聞1972年5月21日付朝刊の除幕式記事による

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