中山内府威蹟地

NA015

なかやまないふいせきち
石碑(0005478)石碑周辺(0005480)

 中山家は,藤原北家花山院流の庶流で花山院忠宗次男忠親が家祖。中山忠親(1131〜95)は,平安末期から鎌倉初期の公卿で中山内大臣(内府)と称された。その日記『山槐記』は,源平内乱期の重要資料である。この石標は中山内府邸の跡を示すものである。この石標のある中山神社の社名は,忠親邸の跡にあたることに由来している。

所在地中京区岩上通蛸薬師上る西側(中山神社前)
位置座標北緯35度00分24.2秒/東経135度45分03.8秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高105×幅18×18cm
碑 文
[東]
中山内府威蹟地
[西]
【未確認】
調 査2002年2月4日
備 考

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