中山内府威蹟地NA015 |
なかやまないふいせきち |
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| 中山家は,藤原北家花山院流の庶流で花山院忠宗次男忠親が家祖。中山忠親(1131〜95)は,平安末期から鎌倉初期の公卿で中山内大臣(内府)と称された。その日記『山槐記』は,源平内乱期の重要資料である。この石標は中山内府邸の跡を示すものである。この石標のある中山神社の社名は,忠親邸の跡にあたることに由来している。 |
| 所在地 | 中京区岩上通蛸薬師上る西側(中山神社前) |
| 位置座標 | 北緯35度00分24.2秒/東経135度45分03.8秒(世界測地系) |
| 建立年 | |
| 建立者 | |
| 寸 法 | 高105×幅18×18cm |
| 碑 文 | |
| [東] | |
| 中山内府威蹟地 | |
| [西] | |
| 【未確認】 | |
| 調 査 | 2002年2月4日 |
| 備 考 |