東三条殿址NA004 |
ひがしさんじょうどのあと |
東三条殿は,平安京左京三条三坊にあった平安時代の邸宅。藤原良房(804〜72)が創設し,摂関家嫡流に伝領され,藤原兼家(929〜90)は東三条殿と称された。兼家の娘で一条天皇(980〜1011)の母であった詮子(961〜1001)は,初めて女院号を与えられ,居住地に因み東三条院と名乗った。寛弘2(1005)年の内裏焼亡により一条天皇の里内裏として用いられた。仁安元(1166)年焼失。この石標は東三条殿の跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区押小路通釜座西北角 |
位置座標 | 北緯35度00分43.8秒/東経135度45分20.7秒(世界測地系) |
建立年 | 1915年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高104×幅18×奥行17cm |
碑 文 | |
[南] | |
此附近 東三条殿址 | |
[東] | |
城巽 | |
[西] | |
円重寺住職 | |
寄附者 | |
小山開【以下未確認】 | |
[北] | |
大正四年十一月建之 京都市教育【以下未確認】 | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |