東三条殿址

NA004

ひがしさんじょうどのあと
石碑(0005247)石碑周辺(0005250)

 東三条殿は,平安京左京三条三坊にあった平安時代の邸宅。藤原良房(804〜72)が創設し,摂関家嫡流に伝領され,藤原兼家(929〜90)は東三条殿と称された。兼家の娘で一条天皇(980〜1011)の母であった詮子(961〜1001)は,初めて女院号を与えられ,居住地に因み東三条院と名乗った。寛弘2(1005)年の内裏焼亡により一条天皇の里内裏として用いられた。仁安元(1166)年焼失。この石標は東三条殿の跡を示すものである。

所在地中京区押小路通釜座西北角
位置座標北緯35度00分43.8秒/東経135度45分20.7秒(世界測地系)
建立年1915年
建立者京都市教育会
寸 法高104×幅18×奥行17cm
碑 文
[南]
此附近   東三条殿址
[東]
城巽
[西]
               円重寺住職
寄附者
               小山開【以下未確認】
[北]
大正四年十一月建之   京都市教育【以下未確認】
調 査2002年2月5日
備 考

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