梅田雲浜邸址NA002 |
うめだうんぴんていし |
梅田雲浜(1815〜59)は,若狭国小浜藩士で,上洛し私塾望楠軒講主に迎えられた。ペリー来航の対外関係緊迫化で政治的発言を始め,士籍を削られ浪人学者となった。京都で志士の指導者であったことから,安政大獄が始まると真っ先に捕えられ,その獄中で病死した。この石標は雲浜の宅跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区烏丸通御池上る東側 |
位置座標 | 北緯35度00分41.0秒/東経135度45分34.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1916年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高116×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[西] | |
梅田雲濱邸址 | |
[北] | |
大正五年九月建之 京都市教育会 | |
調 査 | 2002年2月4日 |
備 考 |