天神川改修碑 碑文の大意
 天神川は北野・吉祥院の両天満宮を経由して,遠く淀川に注ぐ川である。むかしは曲流し運漕に便利だったが,今では逆にたびたび洪水をおこし,吉祥院村は被害をこうむった。村中安田益太郎が最初に改修を企画し,村長石原礒次郎も継承して尽力したが実行には至らなかった。ところが大正14年(実は同7年),中塚儀一郎が村長在任中に吉祥院村は京都市へ編入された。その時にあたり安田英之助・深見徳次郎が首唱し,村有財産を売却して工費にあてることが村会で議決され。多年の懸案がやっと実行に移された。昭和3年現村長平塚繁治郎は東部耕地整理組合を組織し,これまでの設計にしたがいすぐに起工した。改修費には14500円が充当された。昭和3年4月25日に竣功し渡橋式を挙行した。工事の完成はひとえに菅原道真公の威徳によるものだと,村民は堤防の上に植樹し吉祥院天満宮の神苑に連なり,道路を整備し河幅をひろげ,日夜京都西部の排水を導き水害を憂いをなくした。ここに旧橋梁能石材を利用し碑を建てである。その時かけかえられた高畑橋の旧石材を利用し,石碑を建てて記念とする次第である。