楽只小学校の碑

KI082

らくししょうがっこうのひ
石碑石碑周辺

   楽只小学校は、慶応3年(1867)に野口村の医師であった益井茂平が設立した寺子屋に淵源している。明治6年(1873)に郡中第四小学校となり、蓮台野校とも呼ばれたが、明治18年に「楽只校」と命名されている。校舎は当初、現在の千本通北大路上るにあったが、大正13年(1924)にこの地へ移転した。以後、この地にあったが、平成31年(2019)3月に閉校した。
   この石碑は、この地が楽只小学校であったことを示すものである。

所在地北区紫野西舟岡町(楽只保育所前)
位置座標北緯35度02分22.6秒/東経135度44分24.4秒(世界測地系)
建立年2019年
建立者
寸 法高45×幅60.3×奥行50.2cm
碑 文
[南]
   楽只小学校の碑
   益井茂平   元右衛門親子による
私塾的学舎の建設から百五十二年
愛宕郡郡中第四(蓮台野)小学校
として百四十六年この地に移転して
九十五年
   二〇一九年三月楽只小学校は
これらの歴史に幕を降ろすことと
なった
   「すべての村人に教育を」との
益井父子の願いは「一人ひとりの
子どもを徹底的に大切に」との
楽只小学校の「学校文化」として
紫野小学校へと引き継がれること
となった
[北]
平成31年3月
調 査2025年4月29日
備 考東隣には、益井茂平翁碑(顕彰碑)が立っている。

位置図
位置図

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