所在地 | 北区上賀茂北大路町(大田神社前) |
位置座標 | 北緯35度03分32.7秒/東経135度45分30.3秒(世界測地系) |
建立年 | 2009年 |
建立者 | |
寸 法 | 高146×幅25.2×奥行25.2cm |
碑 文 | |
| [北] |
| 北大路魯山人生誕地 |
| [南] |
| 平成二十一年三月二十三日 |
| 京都市長門川大作書 |
| [解説板] |
| 北大路魯山人生誕地 |
| 北大路魯山人は明治16(1883)年3月23日、ここ上賀茂の地 |
| で生れた。15歳で当時流行の「一字書き」で次々と受賞を重ね、一 |
| 字書きの名手として名をあげるなど、少年時代から非凡な才能を発揮 |
| した。明治37年(21歳)に、日本美術展覧会に隷書「千字文」を出 |
| 品し一等賞を受賞。その後、書や篆刻、刻字看板を制作し、併せて古 |
| 美術と料理にも興味をもつようになった。 |
| 大正14年(42歳)に東京で「星岡茶寮」を開設し、仕入れ、調 |
| 理などに卓越した技量を発揮して、美食家としてもその名を世間に知 |
| らしめた。昭和2年(44歳)に星岡茶寮で用いるため、北鎌倉に「星 |
| 岡窯を築き本格的に作陶を始め、多数の優れた作品を残した。 |
| 魯山人は、書、篆刻、陶芸、料理など幅広い分野で人並み外れた優 |
| れた業績を残し、昭和30年(72歳)に重要無形文化財(人間国宝) |
| の認定を打診されたが、固辞した。美の追求に一生涯を掛けた偉大な |
| 巨人であったが、世間の名声にはまったく無頓着であった。昭和34 |
| (1959)年12月21日、76歳で横浜の地で逝去し、京都西賀茂 |
| の小谷墓地に葬られている。 |
| 平成21年3月23日 |
| 上賀茂自治連合会、上賀茂社会福祉協議会、賀茂県主同族会 |
| 賀茂文化研究会、賀茂別雷神社、京都市 |
調 査 | 2022年4月13日 |
備 考 | 解説板は,石碑の東隣に建てられている。 |