鷹ケ峰薬園跡KI069 |
たかがみねやくえんあと |
![]() ![]() |
江戸幕府は寛永17年(1640)に鷹ヶ峰に薬園を開き、幕府医官である藤林道寿綱久(1571~1656)を薬園預りに任じた。以後、藤林家は代々鷹ヶ峰に居を構え、「道寿」の称を世襲して薬園(薬草園)の管理にあたった。この薬園は、『京都御役所向大概覚書』によれば面積一万平米の薬草畑をもつ大規模なものであったが、明治維新とともに廃され、茶畑などへ転用された。 この石碑は、この地が鷹ヶ峰薬園跡であることを示すものである。 |
所在地 | 北区鷹峯藤林町 |
位置座標 | 北緯35度02分53.1秒/東経135度44分10.8秒(世界測地系) |
建立年 | 2010年 |
建立者 | 京都歴史地理同考会 |
寸 法 | 高101.5×幅17.8×奥行17.8cm |
碑 文 | |
[西] | |
徳川時代 公儀 鷹ケ峰薬園跡 | |
[南] | |
旧 山城国愛宕郡鷹ケ峰村 | |
[北] | |
二〇一一年一一月 | |
特定非営利活動法人京都歴史地理同考会建之 | |
寄贈者 故 山田 真 | |
調 査 | 2025年4月30日 |
備 考 | 18世紀初頭の薬園と藤林道寿宅の図はここ(京都市歴史資料館蔵「京都明細大絵図」より)。/北側には解説パネルが設置されており、南側には旧井戸枠が移設されている。/旧データはここ。 |
位置図 | |
![]() |