船岡山KI050 |
ふなおかやま |
船岡山は標高112mの丘陵で,平安京朱雀大路の北の延長線上に位置する。平安京への遷都にあたっては四神の玄武(北方の守護神)になぞらえられ,造都の基準点となったとも言われる。 もともとこの地は,平安京の北に広がる景勝の地として遊宴・遊猟などが行われた。だがその一方では葬送の地でもあり,保元の乱では源為義(1096〜1156)がこの地で斬首された。中世になると,丹波から長坂口を経て洛中へ入る京都の北の入口として注目され,軍事的要衝として戦場となることが多かった。たとえば,応仁の乱では西軍が城砦を築き,東軍の細川勝元(1430〜73)に攻め落とされており,また永正8(1511)年にも細川澄元(1489〜1520)が城を築き,足利義尹・細川高国・大内義興らの攻撃を受けている。 船岡山はその全域が昭和43年に国指定史跡であり(昭和43年指定),この石標は,その船岡山を示すものである。 |
所在地 | 北区紫野北舟岡町(建勲神社南参道) |
位置座標 | 北緯35度02分17.4秒/東経135度44分38.8秒(世界測地系) |
建立年 | 2003年 |
建立者 | 建勲神社 |
寸 法 | 高×幅36×奥行28cm |
碑 文 | |
[南] | |
史跡 船岡山 | |
[西] | |
平成十五年七月 建勲神社建之 | |
[北] | |
文部科学省 | |
[東] | |
昭和四十二年二月十五日 文部省指定 | |
調 査 | 2003年11月5日 |
備 考 |
位置図 | |