船岡山

KI050

ふなおかやま
石碑(0015468)石碑周辺(0018554)

 船岡山は標高112mの丘陵で,平安京朱雀大路の北の延長線上に位置する。平安京への遷都にあたっては四神の玄武(北方の守護神)になぞらえられ,造都の基準点となったとも言われる。
 もともとこの地は,平安京の北に広がる景勝の地として遊宴・遊猟などが行われた。だがその一方では葬送の地でもあり,保元の乱では源為義(1096〜1156)がこの地で斬首された。中世になると,丹波から長坂口を経て洛中へ入る京都の北の入口として注目され,軍事的要衝として戦場となることが多かった。たとえば,応仁の乱では西軍が城砦を築き,東軍の細川勝元(1430〜73)に攻め落とされており,また永正8(1511)年にも細川澄元(1489〜1520)が城を築き,足利義尹・細川高国・大内義興らの攻撃を受けている。
 船岡山はその全域が昭和43年に国指定史跡であり(昭和43年指定),この石標は,その船岡山を示すものである。

所在地北区紫野北舟岡町(建勲神社南参道)
位置座標北緯35度02分17.4秒/東経135度44分38.8秒(世界測地系)
建立年2003年
建立者建勲神社
寸 法高×幅36×奥行28cm
碑 文
[南]
史跡 船岡山
[西]
平成十五年七月 建勲神社建之
[北]
文部科学省
[東]
昭和四十二年二月十五日  文部省指定
調 査2003年11月5日
備 考

位置図
位置図

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