大光院趾・瑞源院趾KI020 |
だいこういんあと・ずいげんいんあと |
大光院・瑞源院はともに大徳寺塔頭。秀吉の弟大和郡山城主秀長(1541〜91)は天正19(1591)年没し大光院と号し,その子秀俊が古渓宗陳(1532〜97)を請じて,大和郡山に文禄年中(1592〜96)大光院を創建した。元和年中(1615〜24)藤堂高虎(1556〜1630)が金龍院南のこの石標の地に移し,昭和29(1954)年,現在地である龍光院の南に移転した。 瑞源院は,大光院の西にあり,江月宗玩(1574〜1643)を開祖として福山城主水野勝成(1564〜1651)が創建し,現在は廃寺となる。この石標は,大徳寺塔頭大光院・瑞源院の跡を示すものである。 |
所在地 | 北区紫野大徳寺町(紫野高校附近) |
位置座標 | 北緯35度02分37.6秒/東経135度44分28.7秒(世界測地系) |
建立年 | |
建立者 | |
寸 法 | 高92×幅19×奥行18cm |
碑 文 | |
[西] | |
大光院趾 | |
[北] | |
瑞源院趾 | |
[東] | |
節堂書 | |
調 査 | 2002年3月4日 |
備 考 |
位置図 | |