岩倉具視公旧蹟KI017 |
いわくらともみこうきゅうせき |
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| 岩倉具視(1825〜83)は,孝明天皇(1831〜66)侍従となり,安政5(1858)年条約勅許を求める幕府に反対した。のち公武合体を唱え,和宮降嫁の進言者として尊王攘夷派に排斥された。文久2(1862)年官を辞し,岩倉家菩提寺のこの地霊源寺で落飾して蟄居した。以後5年あまり岩倉村で蟄居の身ながら諸藩志士と通じて維新の推進力となった。この石標は,岩倉家菩提寺の霊源寺を示すものである。 |
| 所在地 | 北区西賀茂北今原町(霊源寺前) |
| 位置座標 | 北緯35度03分54.2秒/東経135度44分23.1秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1939年 |
| 建立者 | 岩倉公旧蹟保存会 |
| 寸 法 | 高147×幅24×奥行23cm |
| 碑 文 | |
| [南] | |
| 岩倉具視公旧蹟 | |
| [東] | |
| 霊源寺ハ岩倉家ノ菩提所タリ文久二年 | |
| 九月公難ヲ比ニ避ケテ■髪ス | |
| [北] | |
| 昭和十四年十一月岩倉公旧蹟保存会 | |
| 調 査 | 2002年3月7日 |
| 備 考 |
| 位置図 | |
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