西園寺公邸址

KI006

さいおんじこうていし
石碑(0029563)石碑周辺(0029564)

 西園寺公望(1849〜1940)は,徳大寺公純の次男であったが,幼くして西園寺家を継いだ。維新に軍功をたて,明治3(1870)年渡仏して10年滞在した。帰国後,文部大臣・枢密院議長を経て,政友会総裁となり明治39(1906)・同44(1911)年に内閣総理大臣となった。以後元老として後継首班の推薦にあたった。
 公望は等持院の東(現北区等持院東町)に萬介亭と名づけた別荘を持っていた。この邸前に石標が建立されたが撤去され,その後学校法人立命館の所有に帰し現在地に再建された。

所在地北区衣笠氷室町(西園寺記念館内)
位置座標北緯35度02分20.3秒/東経135度43分37.7秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高97×幅22×奥行22cm
碑 文
[東南]
西園寺公邸址
調 査2015年3月20日
備 考原建立地は京都市北区等持院東町/2002年2月の初回調査時には所在不明であったが,その後2002年学校法人立命館に寄附され,2015年に現在地に再建された/この別邸については久保田謙次「衣笠キャンパス略史--校地・校舎の変遷について--」(『立命館百年史紀要』第21号 2013年)に詳しい/『立命館百年史紀要』は立命館史資料センター準備室サイト(www.ritsumei.ac.jp/archives/)で閲覧可/さらに詳細な西園寺邸および邸跡の履歴については上記サイト久保田「竹軒西園寺公望と「萬介亭」」記事参照

位置図
位置図

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