相国寺七重塔跡・西郷隆盛邸跡・湯川秀樹一家寓居跡KA179 |
しょうこくじしちじゅうのとうあと・さいごうたかもりていあと・ゆかわひできいっかぐうきょあと |
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相国寺七重塔は、応永6年(1399)にこの地の附近に建てられた。高さは360尺(約109m)といわれ、最も高い塔であったとされている。しかし応永10年に落雷によって焼失し、以後再建されなかった。附近の町名に付く「塔之段」は、この塔の基壇が塔焼失後も残っていたことに由来する。 烏丸今出川の二本松薩摩藩邸に近いこの付近には、慶応年間、西郷隆盛が邸宅を構えていた。邸宅は二階建てで、西郷従道(弟)や大山巌と同居していたという。 明治41年(1908)に京都帝国大学教授となった小川琢治は、この地の円覚寺に家族とともに住んだ。その家族の一人が、昭和24年(1949)にノーベル物理学賞を受賞する3男・湯川秀樹(1907~1981)である。 この石碑は、この地で湯川秀樹一家が暮らしたことを示すとともに、附近が相国寺七重塔跡・西郷隆盛邸跡であることを示している。 |
所在地 | 上京区下塔之段町 |
位置座標 | 北緯35度1分47.1秒/東経135度45分59.2秒(世界測地系) |
建立年 | 2018年 |
建立者 | 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会 |
寸 法 | 高106.0×幅17.0×奥行13.0cm |
碑 文 | |
[南] | |
従是西北 相国寺七重塔跡 | |
[西] | |
此付近 西郷隆盛邸跡 | |
[北] | |
湯川秀樹一家寓居跡 | |
[東] | |
二〇一八年十一月 | |
特定非営利活動法人京都歴史地理同考会建之 | |
寄 附 者 桐野作人 | |
調 査 | 2025年4月9日 |
備 考 | 石碑の南傍にくわしい解説板がある。 |
位置図 | |
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