十津川屋敷跡地

KA155

とつかわやしきあとち
石碑(0028164)石碑周辺(0028165)

 大和国吉野郡十津川村(現奈良県十津川村)の郷士は,文久3(1863)年禁裏守護を命じられ,上洛した。禁裏御所に近接した下切通新烏丸に詰所を建設し,明治4年に任を解かれるまでこの地を拠点に禁裏の門や加茂社などの警衛にあたった。その詰所は「文久改正内裏御絵図」により位置を確定できる。
 なお京都での警衛地は禁裏御所(京都御所)建春門などを中心としたが,詳細は『維新史料綱要』元治元年4月9日条,元治元年7月28日条,同年11月15日条,慶応3年12月9日〜14日条,明治元年4月8日条に記される。

所在地上京区下切通新烏丸東入北側
位置座標北緯35度01分07.1秒/東経135度46分05.5秒(世界測地系)
建立年2009年
建立者十津川村教育委員会
寸 法高140×幅20×奥行15cm
碑 文
[南]
十津川屋敷跡地
[西]
奈良県十津川村教育委員会
[東]
平成二十一年十一月建立
調 査2009年12月16日
備 考

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