新建石鳥居碑 碑文の大意
 菅神の廟(北野天満宮)が北野の地に鎮座し千年に及ぶ。その徳は年月を経ていよいよ高く,人はみなありがたく尊崇している。まして神社近くに住む者はいうまでもない。ある日,皆燈講員の諏訪さんがわたし(碑文執筆者稼堂黒本植)を訪ねていうことには,わたしたちは先祖からこの地に済み,神の徳に報いたいという気持ちが非常に強い。そこで鳥居一基を建てて奉納することを計画した。みごとな石材を木曽の山中で見つけ,鉄道や車で運びこみ,一年をかけて完成した。高さ37尺5寸・幅48尺2寸の大きさの鳥居で,閑院宮載仁親王筆の扁額をかかげた。わたしたちを援助したのは宮司山田新一郎氏らの神職である。神徳の加護を願い着実に事業を進め,菅神の栄光を永久に残そうとするのが講員有志の志望である。そこで記念の碑文をどうか書いてほしいと。
 往年,徳川家康が黒田長政に筑前国50万石を与えたことがあった。長政は感激し,鳥居一基を船で運び込み,これを北野天満宮に奉納した。この鳥居は日本一と評判だった。このたび建設した鳥居は長政が奉納した鳥居よりはるかに大きく,計画のむずかしさは比べものにならない。また長政は大大名だから巨額の経費をかけて事業を行うことができたから,難事業とはいえ実は容易であった。今回のようにたくさんの人の微細な力を合わせて行う事業のほうがかえってむずかしい。まして長政は自分の報恩を宣伝するようなやり方であるのに,今回の事業はつつましく功績を明らかにしない。どちらが敬神の精神が篤いか歴然としている。わたしはこういった感慨にもとづき経緯を石に記し,有志の名をその下に列挙し,後世の人に伝えたいと思うものである。