北野会碑 碑文の大意
 明治35年3月は太政大臣正一位菅原道真公の一千年忌にあたる。このため京都の崇敬者が相談し,記念の祭典執行,北野神社(北野天満宮)堂舎の修理,あるいは道路や神苑の建設を援助し,菅公の神霊を慰めるために北野会を設立した。規約を定め役員を選任し事業趣旨を発表し協力を求めたところ,全国から献金があり無事事業を終えることができた。
 そもそも北野神社の本殿は慶長年間に豊臣秀頼公が建立したもので,たいへん華麗な建物であったが,長年のうちに朽ちてしまった。そこで特別保護建造物として政府の援助が得られ,北野会もまた資金を援助し大修理をした。この修理は摂社末社などにも及んだ。また境内周辺の民家を買収し梅苑や道路を新設し,北野神社はすっかり面目をあらためた。
 道真公の命日延喜3年2月25日は,今の暦(グレゴリオ暦)では3月31日に相当する。この日,皇室から社前に幣帛が奉献された。これは異例のことである。記念祭は3月25日から5月13日まで行われ,朝夕に燈籠が献火され,あるいは詩歌雅楽点茶生花が神前に捧げられた。千年記念の祭典は5月1日に行われ,近年例を見ない盛況であった。
 北野会が集めた募金は合計115,800円あまりで,そのうち25,900円あまりは修営費,33,900円あまりが神苑建設費,2,700円あまりが道路建設費,13,100円あまりが祭典費,18,000円あまりが会の運営費に支出された。残額38,000円あまりは北野神社に寄附し神苑維持費に充てられることになった。
 北野神社では古くから五十年ごとに大祭を行っていたが,いまや道真公の素志である皇室の安泰と隆盛はゆるぎないものになった。さだめて道真公の霊も喜んでおられるであろう。事業を完了し北野会の解散にあたり,碑を建て後世に残すものである。