桂昌院殿生家菩提寺KA143 |
けいしょういんでんせいかぼだいじ |
桂昌院(1627〜1705)は徳川家光の側室で,名は光子。五代将軍綱吉の生母。諸書によれば「京都堀川通西藪屋町」の八百屋仁左右衛門の子で,父の没後,母鍋田氏は二条家家司本庄太郎兵衛に嫁した。のち江戸城大奥に勤め綱吉を生み,家光没後は桂昌院の院号で呼ばれた。神仏を尊崇し,諸国の寺社再興に力を貸している。この石標は桂昌院生家の菩提寺真敬寺を示すものである。 |
所在地 | 上京区葭屋町通下立売上る西側(真敬寺前) |
位置座標 | 北緯35度01分13.2秒/東経135度45分04.2秒(世界測地系) |
建立年 | 1933年 |
建立者 | 真敬寺 |
寸 法 | 高125×幅23×奥行23cm |
碑 文 | |
[東] | |
徳川五代将軍 | |
桂昌院殿御生家菩提寺 | |
綱吉公御生母 | |
[西] | |
講中総代 | |
昭和八年八月 小林家四郎 | |
種田徳三郎 | |
[北] | |
感応山真敬寺 | |
調 査 | 2008年4月18日 |
備 考 |