藤原頼長墓副碑 碑文の大意 |
絹糸紡績株式会社は上京区(現左京区)東竹屋町53番地にある。白川北殿の東部に当たる地である。東構内に古い塚があり三層の石塔がその上に立っていた。非常に古い塚のようで、桜塚と呼ばれ、藤原頼長の首塚と伝える。この地は崇徳上皇と頼長をまつる神社の跡なのである。元暦元年4月15日に天皇の命令でその社が建立され,嘉禎2年に水害により東に移された。 頼長は保元の乱で負傷し,奈良坂で亡くなりその地に葬られた。だからこの地は墓ではなく頼長をまつる社だったのだろう。だんだんと荒廃し,塔だけが残っていた。ひとびとは頼長の首塚だと考えるようになった。『都名所図会』にもそう記されている。なにしろ古いことなので確かなことはわからない。 近ごろ会社を増築することになり、塚を発掘したが何も出なかった。そして掘った土と塔を相国寺に運び新たに塚と塔を安置する場所を確保し,法事を行った次第である。永く破損されずに残されることを願うのみである。 |