所在地 | 上京区智恵光院通下長者町上る東側(辰巳児童公園内) |
位置座標 | 北緯35度01分21.8秒/東経135度44分48.4秒(世界測地系) |
建立年 | 2005年 |
建立者 | 空爆被災を記録する碑の建立委員会 |
寸 法 | 高92×幅101×奥行56cm |
碑 文 | |
| [西] |
| 空爆被災を記録する碑 |
| 昭和二十年(一九四五年)六月二十六日昼前、低い雲の上空に、敵 |
| 機B29の爆音が近づき、突然に轟然たる爆発音とともにすさまじ |
| い土煙が上がった。この時の被爆は上長者町通より南は下立売通、 |
| 東は大宮通、西は浄福寺通に至る方四百メートルの地域で、当時の |
| 報告には五十キロ爆弾七発とも五発とも言われた。 |
| 報道管制のため、その状況は、多くの市民の知るところとならな |
| かったが、西陣警察署の記録によると、 |
| 一、死傷者 即死 四十三人、 重傷 十三人、 |
| 軽傷 五十三人、 計 百九人。 |
| 二、被害家屋 全壊 七十一戸、半壊 八十四戸、 |
| 一部損壊 百三十七戸、計二百九十二戸。 |
| 三、罹災者 八百五十人。 |
| であった。ちなみにこの辰巳公園も被災地跡にできたものである。 |
| 第二次大戦(大東亜戦争)において京都市は非戦災都市と言われ |
| てきたが、東山区馬町と太秦の三菱工場および当地域が爆撃をうけ |
| たものであり、当地域が最も大きな犠牲者を出したのである。 |
| ここに戦後六十年を期して、この悲惨な空爆の事実を伝えるため |
| この碑を建立して後世への記録と留める。 |
| 平成十七年八月 |
| 空爆被災を記録する碑の建立委員会 |
| 【爆地点を示す略地図あり】 |
調 査 | 2006年9月29日 |
備 考 | |