光格天皇御胞塚

KA097

こうかくてんのうおんえなづか
石碑(0010047)石碑周辺(0010045)

 光格天皇(1771〜1840)は,東山天皇の孫閑院宮典仁親王の第六皇子。天皇は,天明の大火で焼失した京都御所を平安京大内裏の古制に則り再建し,朝儀復興を図るなど尊皇思想の高揚をもたらした。また,実父親王に太上天皇号を贈ろうとした事件(尊号一件)で朝幕府関係が緊張した。この塚は光格天皇の胞衣を埋納した塚である。胞衣(エナ)とは胎盤のことをいい,かわらけに胞衣を入れ,のし結びや小刀を副えて吉方の土中に納める習俗があった。なお,塚が立つ清荒神は,摂津国勝尾山で修行した光仁天皇(709〜781)の開成皇子が荒神を清(現大阪府箕面市)に祀ったことにはじまる。以後歴代天皇の信仰を受け,後小松天皇の勅で高辻堀川東に移り,後陽成天皇(1571〜1617)によってこの地に移転された。

所在地上京区荒神口通河原町西入(清荒神護浄院内)
位置座標北緯35度01分16.4秒/東経135度46分06.6秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高70×幅12×奥行12cm
碑 文
[西]
光格天皇御胞塚
調 査2002年5月24日
備 考

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