聚楽城鵲橋旧跡

KA095

じゅらくじょうかささぎばしのきゅうせき
石碑(0009748)石碑周辺(0009744)

 この地は聚楽第(城)南二ノ丸の南東の内郭にあたる。聚楽第とは,天正14(1586)年豊臣秀吉(1536~98)が大内裏旧跡の内野に構築した邸宅で,翌年完成した。北は元誓願寺通,東は堀川通,南は下立売通,西は千本通を外郭とし,内郭には本丸を中心に北ノ丸,南二ノ丸,西ノ丸の曲輪が築かれたと推定されている。文禄4(1595)年,秀吉は豊臣秀次(1568~95)を謀反の疑いで自害に追いやり,秀次の居所となっていた聚楽第も破却した。この石標は,聚楽城の濠に架かる鵲(かささぎ)橋の跡を示すものである。

所在地上京区松屋町通出水上る東側(松永稲荷前)
位置座標北緯35度01分18.3秒/東経135度44分53.0秒(世界測地系)
建立年1932年
建立者川見信太郎・松本吉兵衛
寸 法高102×幅16×奥行17cm
碑 文
[西]
聚楽城   鵲橋乃旧蹟
[東]
         出石郡室埴産   川見信太郎
施主
         但馬産            松本吉兵衛
[南]
昭和七年十月建立
調 査2002年3月28日
備 考

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