名和長年公遺蹟KA088 |
なわながとしこういせき |
名和長年(?〜1336)は伯耆国出身の武将で,後醍醐天皇(1288〜1339)が隠岐を脱出して同国船上山に逃れて以来,天皇に従い,建武政権では要職についた。建武3(1336)年,九州から京都へ攻め入った足利尊氏(1305〜58)軍との内野(平安京大内裏跡地)の戦いで敗れ戦死した。この石標は長年戦死の伝承地を示すものである。 |
所在地 | 上京区大宮通中立売上る東側(名和児童公園前) |
位置座標 | 北緯35度01分32.2秒/東経135度44分56.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1939年 |
建立者 | 名和会 |
寸 法 | 高300×幅51×奥行31cm |
碑 文 | |
[西] | |
名和長年公遺蹟 | |
[東] | |
理事いろは順 | |
会長 市村慶三 井倉重一 大浦彦三 | |
昭和十四年四月建 名和会 西村三之助 渡辺卯兵衛 | |
顧 小西市之助 富田喜三郎 八木吉輔 | |
問 藤原利三郎 小笠原治三郎 後藤弥太郎 | |
岡本仁兵衛 新井瀧次郎 | |
[北] | |
正四位勲三等山田新一郎書 | |
調 査 | |
備 考 | 2002年2月5日 |