慶長天主堂跡

KA078

けいちょうてんしゅどうあと
石碑(0005524)石碑周辺(0005527)

 この地は,江戸時代には「だいうす町」と呼ばれた。これはキリスト教のデウス(神)が訛ったものといわれる。織田信長政権下では,教会寺院や宣教師・キリシタン信徒の居住区域が何カ所も造られており,京都の古地図には「だいうす」と称される町や辻子が何カ所か確認できる。この地はその一つで,慶長(1595〜1614)頃,天主堂(キリシタン寺院)があったと伝えられる。この石標は天主堂跡を示すものである。なお,南蛮寺として有名な三階建ての教会とは異なる。

所在地上京区油小路通元誓願寺西南角
位置座標北緯35度01分42.7秒/東経135度45分12.0秒(世界測地系)
建立年1970年
建立者京都市
寸 法高104×幅18×奥行18cm
碑 文
[北]
此付近   慶長天主堂跡
[東]
昭和四十五年三月   京都市
調 査2002年2月7日
備 考

上へ

[HOME]