慶長天主堂跡KA078 |
けいちょうてんしゅどうあと |
この地は,江戸時代には「だいうす町」と呼ばれた。これはキリスト教のデウス(神)が訛ったものといわれる。織田信長政権下では,教会寺院や宣教師・キリシタン信徒の居住区域が何カ所も造られており,京都の古地図には「だいうす」と称される町や辻子が何カ所か確認できる。この地はその一つで,慶長(1595〜1614)頃,天主堂(キリシタン寺院)があったと伝えられる。この石標は天主堂跡を示すものである。なお,南蛮寺として有名な三階建ての教会とは異なる。 |
所在地 | 上京区油小路通元誓願寺西南角 |
位置座標 | 北緯35度01分42.7秒/東経135度45分12.0秒(世界測地系) |
建立年 | 1970年 |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高104×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[北] | |
此付近 慶長天主堂跡 | |
[東] | |
昭和四十五年三月 京都市 | |
調 査 | 2002年2月7日 |
備 考 |