天明大火横死者供養碑 碑文の大意
天明8(1788)年正月30日の夜明けに京都は大火に襲われた。火災は宮川町から起り,翌日2月1日の夜に鎮火した。火勢の赴くところ,焼けなかった家はなかった。歴史の書に照らしてみても平安遷都以来未曾有の災害である。この時,火災とともに「狂風」が吹きあれ,木を折り家を壊し消火活動を妨げ,人々はひたすら逃げるのみで,後には焼死体が累々と横たわり無残なありさまであった。
 2月25日,所司代松平和泉守が着任し,死者を追悼することが新所司代から命じられた。ここに3月24日から30日までを期し,亡くなった人たちが苦界を逃れ,今の世の仁政の恩恵に浴することができるようにしたいと,宗派の寺院合同で大施餓鬼法要を企画した。所司代の意図は内々に行なうようにということであったが,立派な行いを何で隠すことがあろうかと,私は何度もお願いしてやっと許可を得た。よってこの経緯を以下のとおり銘に作った。(銘は略)