禁門変長州藩殉難者塔 碑文の大意(副碑)
元治元(1864)年の蛤御門の変で薩摩藩士は長州藩士と御所の蛤御門で戦い,敵の首二十餘級を獲た。その首をこの地に葬り塔を建て目印とした。年月を経る間にこのことを知る者は少なくなった。明治39年,山口県人桂半助がたまたまこの塔を見つけ,毛利公爵に報告した。公爵はこのことを聞いて,人を派遣して調査させた。ところが首の数を29とも21ともいい一定しない。姓名も知ることができなかった。おそらく湯川庄蔵,有川常槌といった蛤御門で戦死した人たちがその中に含まれるのであろう。毛利公爵は塔を整備することを命じ,当寺に供養料を寄附され永く冥福を祈ることになった。わたくし(筆者相国寺住職東嶽)はこの経緯を記して,後世の人に示すものである。