佐賀鍋島藩屋敷跡KA048 |
さがなべしまはんやしきあと |
幕末の佐賀藩は,藩財政の窮乏と英国艦船の来訪等により藩政改革の必要に迫られ,藩主鍋島斉正(閑叟,1814〜71)は財政強化と軍事力の再編に尽力した。佐賀藩は雄藩として公武合体派の指導的な役割を果たし,斉正は福井藩主松平春岳(慶永)らとともに一橋慶喜(1837〜1913)を擁立して改革派藩主連合の一翼を担った。佐賀鍋島藩の藩邸ははじめ堺町通四条下るにあったが,幕末にいたりこの地に移された。この石標は幕末期の藩邸跡を示すものである。 |
所在地 | 上京区上長者町通智恵光院東入北側 |
位置座標 | 北緯35度01分25.1秒/東経135度44分05.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1991年 |
建立者 | 京都佐賀県人会 |
寸 法 | 高131×幅25×奥行25cm |
碑 文 |
[南] | |
佐賀鍋島藩屋敷跡 | |
[東] | |
平成三年十月建之 | |
京都佐賀県人会 | |
会長 中尾芳雄 | |
[西] | |
佐賀県知事井本 勇書 | |
[北] | |
協 愛野興一郎 (株)北島 長春青磁陶窯 (株)福岡商店 | |
賛 十三代今泉右衛門 源右衛門窯 中村清見 藤井朱明 | |
者 井上万二 佐賀銀行 鍋島御庭焼 窓の梅酒造(株) | |
芳 市川忠山 坂井隆憲 中里陶仙 村岡総本舗 | |
名 小野珀子 副島硝子工業(株) (有)畑万陶苑 (株)村岡屋 | |
大塚清次郎 陣内孝雄 樋渡陶六 山下徳夫 |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |