賀茂斎院跡KA046 |
かもさいいんのあと |
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| 賀茂社に奉仕する未婚の皇女または王女を斎王と呼び,斎王が身を清めて常住する場所を斎院という。初代は嵯峨天皇皇女有智子内親王(807〜47)で,弘仁元(810)年に補任され,後鳥羽天皇皇女礼子内親王(1200〜73)が退下した建暦2(1212)年まで続いた。この地に斎院が置かれた史料上の初見は仁寿2(852)年であり,地名に因んで紫野斎院・紫野院などとも呼ばれた。この石標は賀茂(紫野)斎院跡を示すものである。 |
| 所在地 | 上京区上御霊前通智恵光院東入(櫟谷七野神社内) |
| 位置座標 | 北緯35度02分09.8秒/東経135度44分50.3秒(世界測地系) |
| 建立年 | 2001年 |
| 建立者 | 賀茂(紫野)斎院跡顕彰会 |
| 寸 法 | |
| 碑 文 | |
| [南] | |
| 賀茂斎院跡 | |
| 柏樹謹書(印) | |
| [北] | |
| 平成十三年十一月吉日 | |
| 賀茂(紫野)斎院跡顕彰会建立 | |
| 京都市杭迫柏樹謹書 | |
| 和歌山県 近藤清一寄進 | |
| [南プレート] | |
| この地は平安時代から鎌倉 | |
| 時代にかけて賀茂社に奉仕す | |
| る斎内親王、即ち斎王が身を | |
| 清めて住まわれた御所(斎院) | |
| のあった場所であり、このあ | |
| たりが紫野と呼ばれていたた | |
| め、「紫野斎院」とも称され | |
| た。この斎院の敷地は、大宮 | |
| 通りと廬山寺通りを東南の角 | |
| としており、約一五〇メートル四方 | |
| を占めていた。 | |
| 斎王は嵯峨天皇皇女・有智 | |
| 子(うちこ)内親王を初代と | |
| し、累代未婚の皇女が卜定さ | |
| れ、約四〇〇年続き後鳥羽天 | |
| 皇の皇女三十五代礼子(いや | |
| こ)内親王をもって廃絶した。 | |
| 斎王の中には選子(のぶこ) | |
| 内親王や式子(のりこ)内 | |
| 親王のように卓越した歌人も | |
| あり、斎院でしばしば歌合せ | |
| が催された。また斎院にはほ | |
| ぼ五〇〇人の官女や女官が仕 | |
| えており、女官にも秀れた歌 | |
| 人が少なくなかった。 | |
| 私達は、この文化遺産 斎 | |
| 院跡を顕彰し、後世に伝える | |
| ものである。 | |
| 平成十三年十一月吉日 | |
| 賀茂(紫野)斎院跡顕彰会 | |
| 調 査 | 2002年2月8日 |
| 備 考 |