賀茂斎院跡

KA046

かもさいいんのあと
石碑(0009991)石碑周辺(0004855)

 賀茂社に奉仕する未婚の皇女または王女を斎王と呼び,斎王が身を清めて常住する場所を斎院という。初代は嵯峨天皇皇女有智子内親王(807〜47)で,弘仁元(810)年に補任され,後鳥羽天皇皇女礼子内親王(1200〜73)が退下した建暦2(1212)年まで続いた。この地に斎院が置かれた史料上の初見は仁寿2(852)年であり,地名に因んで紫野斎院・紫野院などとも呼ばれた。この石標は賀茂(紫野)斎院跡を示すものである。

所在地上京区上御霊前通智恵光院東入(櫟谷七野神社内)
位置座標北緯35度02分09.8秒/東経135度44分50.3秒(世界測地系)
建立年2001年
建立者賀茂(紫野)斎院跡顕彰会
寸 法
碑 文
[南]
賀茂斎院跡
               柏樹謹書(印)
[北]
平成十三年十一月吉日
   賀茂(紫野)斎院跡顕彰会建立
         京都市杭迫柏樹謹書
         和歌山県   近藤清一寄進
[南プレート]
   この地は平安時代から鎌倉
時代にかけて賀茂社に奉仕す
る斎内親王、即ち斎王が身を
清めて住まわれた御所(斎院)
のあった場所であり、このあ
たりが紫野と呼ばれていたた
め、「紫野斎院」とも称され
た。この斎院の敷地は、大宮
通りと廬山寺通りを東南の角
としており、約一五〇メートル四方
を占めていた。
   斎王は嵯峨天皇皇女・有智
子(うちこ)内親王を初代と
し、累代未婚の皇女が卜定さ
れ、約四〇〇年続き後鳥羽天
皇の皇女三十五代礼子(いや
こ)内親王をもって廃絶した。
   斎王の中には選子(のぶこ)
内親王や式子(のりこ)内
親王のように卓越した歌人も
あり、斎院でしばしば歌合せ
が催された。また斎院にはほ
ぼ五〇〇人の官女や女官が仕
えており、女官にも秀れた歌
人が少なくなかった。
   私達は、この文化遺産   斎
院跡を顕彰し、後世に伝える
ものである。
   平成十三年十一月吉日
   賀茂(紫野)斎院跡顕彰会
調 査2002年2月8日
備 考

上へ

[HOME]