千利休居士遺蹟不審庵KA044 |
せんのりきゅうこじいせきふしんあん |
表千家流家元の茶室。利休(1522〜91)切腹後,継子少庵(1546〜1614)が豊臣秀吉(1536〜98)から千家復興を許され,拝領したこの地に利休ゆかりの不審庵等を復興した。その後,三男宗旦(1578〜1658)に譲られ,正保3(1646)年,その子宗左(1613〜72)が継ぎ,表千家の基礎が確立した。この石標は利休ゆかりの不審庵を示すものである。 |
所在地 | 上京区小川通寺之内上る東側 |
位置座標 | 北緯35度02分02.9秒/東経135度45分12.0秒(世界測地系) |
建立年 | 1928年 |
建立者 | 京都史蹟会 |
寸 法 | 高133×幅20×奥行19cm |
碑 文 | |
[西] | |
千利休居士遺蹟 不審庵 | |
[南] | |
昭和三年十一月 | |
[北] | |
京都史蹟会建 | |
調 査 | 2002年2月6日 |
備 考 |